中国生活 1990年 1年後の中国-4 1990年3月17日(土)帰国。2度目の中国、あの日の後遺症がまだ残る北京、北京でのアジアオリンピック開催に向けた準備、色々な事情が交錯していながら前を見つめて日々暮らしていた人々。88-90年の激動の中国、北京を肌で感じる事が出来た事は貴重であった。 88年留学時にいちばんお世話になった先生に会う事ができ、ほっとした。その先生は、学校より1年フランスへ中国語を教えに行くよう言われ、フランス語を勉強していた。その先生はその後、フランスへ行き、中国へは戻らなかった。もう一人の良くしてくれた先生もアメリカに派遣されたが、戻って来なかった。 この時期、逃げていた大企業が少しづつ戻って来ていたが、ずっと残ってたある日本企...2017.06.28 11:30中国1990年
中国生活 1990年 1年後の中国-3 2月3日(土)、遂に天安門広場を訪れた。あの日より、8カ月。戒厳令が1月11日に解除されてから1カ月近く経っていた。一見、1年前と変わりがないように見えた。多くの中国国内観光旅行者が、広場で写真を撮っていた。写真屋も出て以前のように商売していた。しかし、外国人観光客はほとんどいなかった。広場近くの「琉璃厂」へ行ったが、以前は9割が外国人観光客のようであったが、今回はほとんどが中国人観光客であった。1カ月後、再度天安門広場を訪れたが、状況は同じであった。 広場の所々を観察すると、当時の傷跡が残っているようで、修復されていない所がまだ多かった。戦車が回転したような痕、燃え焦げたような痕、英雄記念碑の段の破損、張り紙が...2017.06.28 11:00中国1990年
中国生活 1990年 1年後の中国-2 空港からタクシーで学校へ向かった。タクシーとの話しで、あれ以降外国人がかなり減り、タクシーの数がかなり減った。残った運転手も前ほど忙しくないそうだ。後に自分でもそれは実感した。例えば、以前であれば北京飯店で夜10時を過ぎてもかなり多くのタクシーを見かけたが、今回は夜9時以降はまばらにしかタクシーを見受けられなかった。 学校も変化が見られた。1年前、いちばんぼろかった寮がいちばん綺麗な寮になっていた。私が過ごした寮は改装中であった。学校内の銀行は多少位置を変えて、中の行員の態度が多少良くなっている印象であった。先生の待遇を改善する為に新しい先生用の住居が建てられてた。 よく通った学校前の闇両替屋は、表の商売の籠屋か...2017.06.28 02:03中国1990年
中国生活 1990年 1年後の中国-1 1990年1月31日、中国民航で香港より北京に入った。89年2月19日に前回帰国したので、ほぼ1年振りの中国、そして北京であった。今回は3月下旬まで約45日間の滞在で、短期勉強だ。 この1年は中国にとって激動であった。1年前に帰国する時、そのような激動な事が起こるなど誰が想像したであろう。検閲に引っかかるといけないの、キーワードや詳細は省く。しかし、それに関連する事柄はこの「1年後の中国」というブログで多少触れていきます。 香港-北京という外国人が多く乗る路線が理由か?サービス向上教育の理由かわからないが、比較的客室乗務員の愛想が良い印象を受けた。少なくとも、留学中利用した路線の彼女たちより良かった。しかし、機内...2017.06.27 22:52中国1990年