中国生活 1989年 1989年2月19日(日)全日空で上海より帰国。 留学日程が終了後、皆それぞれ国内旅行へ行き、それぞれ日本へ戻った。私は、最後北京から成都、蘇州、杭州、上海へ行き、日本へ戻った。成都から杭州へ行く、列車の中で2月6日春節(初一)を迎えた。その為、列車はガラガラであった。(画像-蘇州町中)2017.06.24 04:26中国1989年
中国生活 1989年 1989年1月20日(金) 1月6日(金)にすべての授業は終了した。最後の晩は、先生とクラスメートで北京大学傍の北京ダックの店で食事をした。地元の人が中心に食べる店なので、とても美味しい北京ダックであった。前にも先生の招待でこの店で北京ダックを食べた事があり、ここで食べて以降北京ダックのファンになった。 15日-20日までクラスメート数名で、香港、マカオへ旅行へ行った。香港に着いてすぐに「これが文明だ!」と深く感銘した事を今でも憶えている。 現在、中国の大都市の人たちが香港、マカオへ行っても、逆に田舎だと感じて、自分より下に見る人は多くいる。その当時では、このような逆転現象が起こるとは、考えもしなかった。2017.06.23 23:50中国1989年
中国生活 1989年 1989年1月某日 学校の門を出た通りの両端に多くの店がある。まだ、留学の初め頃は、その通りの国営肉屋では、肉の切符(肉票)がないと買えなかった。しかし、個人商店がかなり増えており、留学が終わる頃には現地の人でも通常個人商店で買うようになっていた。 門を出たすぐ向かいに籠製品を売る店がある。籠を売るのがメインではなく、兌換券を人民元に替えてその利ザヤを稼ぐ事が目的だ。88年12月に最高で2倍で人民元に替える事ができたが、すぐに1.9倍程度に下がり、留学終了時は1.8倍に落ち着いた。 (画像-籠屋の看板娘)2017.06.23 12:50中国1989年
中国生活 1989年 1989年1月8日(日) 今日から元号が「平成」に変わった。我々留学生の情報で一番早いのは、一緒に勉強している会社で派遣されている社会人の同級生からだ。目にできる情報は、彼らからもらう日本の新聞、ホテルの日本食レストラン内の新聞、日本よりの手紙もしくは、国際電話からになる。 我々はそれらの情報元より昭和が終わり、平成に変わる事を知った。昭和最後の夜は、「リド・ホテル」でボーリングをした。2017.06.22 11:48中国1989年
中国生活 1989年 1989年1月5日(木) 朝から夕方まで雪が降った。ちょうど1週間前もかなりの雪が降った。雪質の印象は、サラサラしていて、雪玉を作りにくいという事だ。 雪景色の故宮を写真に収めたいと思い、お昼前に授業を抜け出し、故宮へ向かった。 留学中旅行の為に何度も1週間程度授業をさぼる事があったが、留学生の中ではかなり勉強した方だと思っている。夜自分で勉強する他に週に4回3名の先生から「補習」を受けていた。 88年の3月まで1時間6元で受けれる先生もいたと聞いたが、4月以降は1時間安くても8元となった。夏以降は、安くて10元となった。私は、10元、12元の先生より補習を受けた。先生ごとに授業内容を変えていた。 当時先生達のほとんどは海外へ中国...2017.06.22 11:39中国1989年